【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

超重元素合成研究グループデイレクター/森田浩介(05/13)_学究達=334

2022-11-08 05:35:00 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年11月08日<ⰧⰊⰧ

☆★ 写真マニアのヴィルヘルム・レントゲンが、何の因果か人の骨まで写せる写真を発明する(1895年=X線を発見)。☆★ ミュンヘンでバイエルンの首脳部が酒盛りをしている最中にアドルフ・ヒトラーが乱入、無礼講の域を超えた一大事となる(1923年)。☆★ 国語審議会(当時)、「ら抜き言葉」の使用を認めないとする見解を発表(1995年)。このような乱れた言葉遣いは断じて認めれない。

本日記載附録(ブログ)

地球上のありとあらゆるものは、様々な元素でできている、/なかでも「大きな元素」は自然には存在せず、人工的につくったものだ

大学院生の住田貴之とともに実験結果の初期解析を行なった結果、2012年8月に3個目の113番元素の合成を新たな崩壊経路で確認する

この実験が新元素の合成成功に結び付き、世界の科学者が“超重元素の錬金術師”と彼を呼び、113番元素は「ニホニウム」(nihonium元素記号:Nh)との命名される

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

 様々な科学手法・長期間の反復実験を重ねる“超重元素の錬金術師”=森田浩介= 

森田浩介(05/13) ◇◆ 第二回 「我々が見つけた、113番元素はここですね」 =2/2= ◆◇

 核図表では扱う原子核の数が非常に多い。周期表よりもかなり込み入ったものだというのは一目で理解してもらえるだろう。

 また、各原子核の安定性を「高さ」として表現した立体図表にすると、細かい点は見にくいものの、全体の構成が分かりやすくなる。安定なものは低く、不安定なものは高く示される。言い方を変えると、背が高いものはエネルギーが高い原子核で、低いものはエネルギーが低い。単体で存在するために高いエネルギーが必要か、低いエネルギーでも存在できるか(前者は不安定で、後者は安定)という言い方もできる。

 森田さんの部屋がある建物の1階には、この「3次元核図表」がレゴブロックで表現したものが展示してあった。エネルギーが高い原子核は、例えは陽子だけ、中性子だけといった、質量が小さいところに巨大なピークがある。また陽子・中性子が多ければ多いほど(重たいほど)、エネルギーが高くなっていく。

 高エネルギーの山に囲まれた「中央」部分にくぼみがあり、そのあたりが安定した元素、原子核が存在し得る領域だ。こういった安定同位体がつらなるくぼんだ部分を、量子力学の創始者の1人ヴェルナー・ハイゼンベルクの名を冠して「ハイゼンベルクの谷」と言う。谷の中でも最も窪んでいる谷底の部分は鉄56で、つまり、宇宙で一番安定した原子核といえる。

 「我々が見つけた、113番元素はここですね」と森田さんは核図表を指さしてくれた。

 「もちろん同位体がありまして、これは質量数278のものです。半減期が1.4ミリ秒。ほんの一瞬しか存在できず崩壊していきます……その6つ右隣に質量数284の同位体があります。半減期は0.5秒。中性子が6個違うだけなんですが、それだけで寿命が約千倍も違ってくるんですね。こちらはロシアとアメリカの合同チームが、見つけたと言っています」

 113番元素といっても、原子核は一種類ではなく様々な同位体がありえる。そのうち、どれかを合成出来たと確認できれば、発見者として認定され、命名権も得られる。

 判定は「国際純正・応用化学連合」(IUPAC)と「国際純粋・応用物理学連合(IUPAP )が推薦するメンバーによる作業部会が行う。もともと元素というのは化学の領分だったので、化学の国際学会が中心になるものの、今や核物理の知識・方法なくしては語れないためにそちらの専門家も含めて審査にあたるそうだ。本当に新元素が合成できているのかどうか。人類にとって未知の物質であるわけだから、いくつものハードルをクリアしないと審査の対象になりえない。

 森田さんは、いかにして113番元素を合成し、そこまでたどり着いたのか。超重元素合成、ぼくが言う「超重元素の錬金術」は、いかにして行われたのだろうか。

次回は“第3回 「光速の10%でそっとくっつける」超重元素合成”に続く

=== 参考資料: インタビュー・森田浩介(1/5) ===

「待っていれば、絶対に来る」
2012年8月、3個目の113番元素の合成を確認したときの気持ちを尋ねると、森田浩介准主任研究員はそう答えた。それは、30年近く超重元素の合成に取り組んできた者だけが口にできる言葉だろう。ここに至るまでの長い軌跡を振り返ってみよう。

「1984年に私が理研に入ったとき、加速器“リングサイクロトロン”の建設が進んでいました。私は、そのリングサイクロトロンを使って新しい超重元素を合成するために採用されたのです。実は、超重元素の合成についてよく知らず、こんなに難しいとは思っていませんでした」と森田准主任研究員。

超重元素とは、原子番号104番のラザホージウム(Rf)以降の重い元素をいう。原子核は陽子と中性子で構成されており、陽子の数が原子番号、陽子と中性子の数の合計が質量数で、質量数は元素記号の左肩に示す。

自然界に安定して存在する元素は原子番号92番のウラン(U)までで、93番以降の重い元素は加速器を使って人工的に合成することでその存在が確認されてきた。原子番号が大きくなるほどプラスの電荷を持つ陽子同士の反発が強くなり、合成が難しくなる。1984年当時、合成に成功していたのは109番のマイトネリウム(Mt)まで。110番より重い元素を合成することが、森田准主任研究員に課せられたミッションだった。

「超重元素は、加速器で加速した原子核のビームを標的の原子核に衝突させ、核融合を起こすことで合成します。私はまず、ビームの原子核や、ビームによってはじき出された標的の原子核、ビームと標的の原子核の一部が融合した不要な生成物などを取り除き、目的の原子核だけを効率よく確実に分離し、半導体検出器に導くための装置の開発に取り組みました。それが気体充塡型反跳核分離装置“GARIS(ガリス)”です」

リングサイクロトロンは1986年12月に完成。GARISをその下流に設置し、翌年から超重元素探索の準備実験を開始した。しかし、スムーズな滑り出しとはいかなかった。

「リングサイクロトロンを利用できる時間が少なかった上に、原子核ビームの強度が弱く、超重元素を合成できる状態ではなかったのです。それでもできることを細々とやっていました」

108、110、111番元素で力試し / 幸運は突然やって来た

「新たに超伝導リングサイクロトロン(SRC)を建設することになり、GARISのある部屋がビームの通路になるため、GARISを移動しなければならなくなったのです。その機会にGARISを重イオン線形加速器RILAC(ライラック)の下流に移動しました。それまではRILACから取り出されるビームではエネルギー不足のため、超重元素の合成は不可能でした。

ところがSRC計画の必要性から、エネルギーの増強のための改良がなされ、RILACでの超重元素合成が可能になったのです。またGARISの改良も行い、性能が大幅に向上しました」と森田准主任研究員。

「こうして本格的に超重元素の探索実験が始まりました。2001年のことです」

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